鎌倉時代に紀州熊野から吉田村(現在の雲南市吉田町)に入部した田部家は、11代にわたって武士を務めた後、1460年に同地でたたら製鉄を開始しました。
田部家の記録によれば、初代彦左衛門が夢のお告げにより、川砂鉄を採取して製鉄を始めたとされています。
鎌倉時代に紀州熊野から吉田村(現在の雲南市吉田町)に入部した田部家は、11代にわたって武士を務めた後、1460年に同地でたたら製鉄を開始しました。
田部家の記録によれば、初代彦左衛門が夢のお告げにより、川砂鉄を採取して製鉄を始めたとされています。
しかし、明治時代に入ると安価な洋鉄の輸入により、島根のたたら製鉄も大きな影響を受けることに。田部家は大正末期にたたらの火を消すこととなりました。
その後は製鉄から派生した製炭業などを営みながら事業の多角化を進め、今日に至ります。
2016年、25代田部長右衛門は、たたらを中心とした事業の再構築と地域づくり、「たたら吹き」の復活を宣言。本プロジェクトがスタートしました。